中国でユニコーンを創ったシリアルアントレプレナ、生成AIで日本から世界を目指す
東大IPCでは、「協創1号ファンド」「AOI1号ファンド」を通じ、国内外70社を超える大学関連のスタートアップに投資を行っている。その投資先であるスタートアップの経営者が描くビジョンや展開するビジネスの魅力、可能性について、投資担当者と一緒に語ってもらうシリーズの第2回目は、トランスエヌ株式会社。中国・日本・アメリカで豊富な技術開発、起業、投資経験を持つ2人が2024年3月に共同創業した同社は、同年8月に1億5500万円を資金調達している。CEOの那小川氏と、投資担当者の水本尚宏氏に聞いた。
この10年で中国のベンチャー投資ブームやAI業界の急速な発展を体感
―那さんは中国で自動運転のユニコーンを作ってこられたそうですが、まず経歴やご経験を教えてください。
那:東大大学院で自然処理言語を学んだ後、外資系戦略コンサルで商社や自動車業界の担当を経て2014年に中国に帰国しました。そして日系大手インターネット企業の中国法人で戦略立案や、中国の投資銀行グループでハイテク業界のスタートアップへの資金調達を多数手がけた後、30歳で自動運転のスタートアップRoadstar.aiをCSO(戦略責任者)として共同創業し、ユニコーンにまで成長させています。
その後は投資銀行Transcapitalを創業し、商社を中心とする大手日本企業向けにコンサルティング活動をしてきました。直近では2022年に中国で自動運転トラック企業Corage.aiを共同創業してCSOを務めました。
―新たにトランスエヌを創業したのはなぜですか。
那:きっかけは2022年末のChatGPTの登場です。その汎用的な知能に驚きました。当時の仮説としては、AIはルールベースでの演繹的推論はできても、新しい知識の発見はできないと言われていたのです。しかしChatGPTが登場したことで、人間のような汎用的知能を持つAI(AGI)が可能だと感じるようになり、生成AIで何かやりたいと強く思うようになりました。それが新たに起業した理由の1つです。
また、当時いたCorage.aiはレベル4の自動運転技術を持ち、無人の自動運転EVトラックを開発・納品してスマート物流のプラットフォームも構築してきました。ですが、自動運転では未だに一般に普及させられるレベルの製品ができておらず、その長い道のりに焦れていたところがあります。そこで1年以内に製品化できるような事業を、私自身のビジネス経験を活かせる領域で生成AIを使ってやりたいと思い、トランスエヌを起業しました。
オープンソースのLLMで、オンプレミスのアプリケーション開発を
―改めて、トランスエヌの事業内容について教えてください。
那:日本の大手企業向けに生成AIによるDXソリューションを開発・提供しており、すでに大手総合商社と取引させていただいています。
といってもただのSIerではなく、当社が目指すのは、グローバルで優秀な一握りのAIエンジニアをプールして、投資もグローバルから呼び込むこと。そうして日本発で世界進出できるデジタル企業を創ろうとしています。
実際に、CTOの孫又晗はコロンビア大学でコンピュータサイエンスを学び、MicrosoftやFacebookでAIエンジニアとしてのキャリアを積み、私と同様に中国でPony.aiという自動運転スタートアップを起業してユニコーンに育てた経歴を持ちます。そこを飛び出して当社を共同創業することに決めた理由も、私と同じです。このように共感してくれる生成AIのトップタレントを、世界から幅広く集めていきます。
―生成AIソリューション開発では競合も多数ありますが、違いは何でしょうか。
那:当社ではオープンソースのLLM(大規模言語モデル)を使って、オンプレミスでアプリケーションを開発していきます。オンプレミスによる開発のメリットには「情報の秘匿性」「ファインチューニング」「長期的なコスト効果」の3点があるからです。
まず、今はクラウド化がトレンドですが、社内LANに閉じていれば情報の秘匿性を担保でき、機密情報も扱えます。また、ChatGPTなどのクローズドLLMは広範な知識を有していますが、特定企業に関する詳細情報を持たないため、それをベースにした生成AIアプリケーションでは詳細な回答が生成できません。それがオープンソースのLLMであれば、企業独自のデータを使ってファインチューニングできるのです。
そして、大手企業であればコスト面も有利になり得ます。一見オンプレミスの方がハードウェアを買うので高くなりそうですが、データベースを運用するスペックのサーバーを借りると、約1年間の使用料でそのサーバーを購入できる計算になります。また、例えばMicrosoftの個人用AIアシスタントCopilotのアカウントを社員分揃えると、大企業であれば年間で億円単位になります。つまり、クラウドの方が安いのは初期だけであり、本格的なシステムであればオンプレミスのほうが長期的にはコストを抑えられるのです。
半製品のラインナップで「生成AI業界のミスミ」を目指す
―東大IPCとして、この事業についてはどう見ていますか。
水本:そうですね。クラウドベースがAI活用の大勢を占めていますが、実は大手企業においてはオンプレミスで開発・運用した方が、安くなるケースは少なくないと考えています。運用コストとセキュリティ面の優位性と共に安価な開発が可能となれば、事業的にチャンスがあると見ています。
実はトランスエヌでは、オンプレミスでもゼロからシステム開発するのではなく、半製品にまでしておいて、それを組み合わせてシステム開発していくアプローチを採用しており、それが生成AIを活用したシステム開発において上手くワークするのかは見ていきたいと思います。
日本のIT開発現場は多重下請構造で、利益率の低さが問題となりがちです。これは個社ごとにシステム開発する仕事は労働集約型だからという話になりますが、半製品で「生成AI業界のミスミ」的なアプローチを取ることで、打開できれば嬉しいですね。
那:それは大きなポイントです。当社では自社製品として未完成のモジュールを多数揃え、それらをカスタマイズして使っていきます。その第一歩として、まず議事録作成ツールを作っており、企業とのPoCを終えて高い評価を得ています。次いで、フォーマットがばらばらでも対応できる契約書の分析ツールや、機密情報も送れるような社内チャットボットなどの開発も予定しています。
また、中国には日本のような多重下請構造がありません。関係者が多いと説明用のパワポやエクセルが大量に必要ですが、そうした無駄やコミュニケーションロスは徹底的に廃していきます。さらに組織はシンプルにして、コンサルフェーズは製品を売るためのプリセールスと位置づけ、開発も社内の少数精鋭で行っていきます。
―改めて、東大IPCがトランスエヌに投資を決めたポイントを教えてください。
水本:大きな文脈としては、世界に通用するスタートアップを日本発で生み出すために、中国のシリアルアントレプレナーが日本で起業してくれる流れを作りたかったからです。実は東大の工学系の博士は3割以上が中国籍で、その多くが卒業後は中国で活躍されています。ですが昨今、中国では資金調達環境が鈍っていることもあり、彼らが日本に来て起業するという気運が生まれています。これを定着させるために、中国でも知名度のある那さん達が成功事例になって欲しいと考えました。
また、那さんとCTOの孫さんのお二人とも自動運転の世界で広く知られた著名スタートアップの創業経験があり、その分野での経験や人脈が豊富だったのもポイントです。彼らが周囲にいる高度なAI人材を日本に連れて来てくれれば、AI人材不足の問題が多少なりとも解消するのではと期待しています。
もう一つに、AIの受託開発会社の成長の壁を突破できるのではないかという期待感です。AIの受託開発は労働集約型ビジネスなので、売上と比例して人材採用を要します。例えば社員50人で売上10億円の会社が来期20億円を目指せば新規に50人を採用し、40億円を目指すならさらに100人の採用が必要になりますが、国内ではそれだけのAI人材を1年で採用することはAI人材の人数問題から現実的ではありません。ただトランスエヌのように、日本でなくn数が全く異なる中国からAIエンジニアを雇うモデルであれば勝算があると考えました。もちろん、フィリピンやインドのエンジニアでオフショア開発をするアプローチもありますが、日本のエンタープライズ企業の要求水準に見合うAI開発をするには、日本と同等以上の技術水準を持つ米国や中国のエンジニアでないと難しい。そして、中国ではスタートアップの資金調達環境が鈍っており、そういった人材の余剰が起きている。今は超一級のエンジニアを日本に集められる絶好のチャンスなのです。
那:人材について、実は当初は中国にオフショア拠点を置いて、現地採用で進める計画でしたが、現在は変更しています。今はオフショアは一切考えず、エンジニアは全員日本に来てもらうのを前提にしています。オフショアだと受発注関係になりますが、日本に来て仕事をすれば技術の伝播や育成につながるでしょう。また、アメリカから同じように優秀なエンジニアを採用しようとすれば倍の年収を要求されますが、中国のエンジニアなら日本の給与レンジにもマッチしますし、中国人にとって日本は住みやすい国でイメージが良いのです。
グローバル市場を見据えて、日本人が不得手な「大きな絵」を描く
―それでは、トランスエヌでは今後、中国と日本の両方から採用を行っていくのですか。
那:フルタイムの社員は中国人4名でしたが、5人目として初の日本人社員が加わりました。バイオインフォマティクスの修士で、前職の大手コンサルではデータサイエンティストだった人です。
今後は、営業や経営などビジネスサイドにグローバル感覚のある日本人を採用していきたいと考えています。AIエンジニアは今インターンで日本人が1名いますが、もともと日本人エンジニアは少ないので、多くは中国を中心にアジアからとなるでしょう。
―東大IPCの支援としても、採用はポイントになりますか。
水本:そうですね。那さんはもともと戦略コンサル時代に日本の大手総合商社と信頼関係ができていて、そのグループ会社や海外拠点などから広く引き合いや相談が得られています。しかし、やはりそれとは別に、ゼロから日系企業と信頼構築ができるような日本人の中核メンバーを入れることも大事でしょう。その意味で、採用の支援も行っていきたいです。中国のAI人材については、採用支援の必要性は全く感じておりません笑。
ただ現状だと他のAI開発会社との違いを訴求できていないと思います。そう考えると、いま一番必要なのは、会社の特徴や魅力訴求の軸を明確にし、フラグを立てるサポートをすることだと考えています。そして、それをホームページやプレスリリースでも統一して訴求していく。それをもとに日本人で事業推進や営業ができる人を採用し、並行してインバウンドのエンジニアを確保して、モジュールの開発を進めていくのが妥当かなと。
―目指すゴールや成長のマイルストーンを教えてください。
那:直近では今期売上5000万円、来期は1.5~2億円が現実的な目安で、社員数も今の5名から来年末には10数名にしたいですね。
また、そうした堅実な動きとは別に、グローバルのAI人材と資金をプールするストーリーで期待値を集めて、一気に数千万ドルの調達というのも挑戦してみたいです。
水本:那さんの構想は常に中国基準なので、エコシステムの異なる日本でそのまま実現することは難しいかもしれません。しかし、那さんは大きな絵を描ける人です。CSOをずっとやってきたのでグローバル視点で見た戦略立案が得意で、総合商社に気に入られるのもそこでしょう。確実に達成できる数百万、数千万円という改善ではなく、総合商社の経営層から見ても面白みのある大きな絵を書いて提案するので、いろいろな可能性が広がる。中国で構想を形にしてきた那さんなら、私の想像を超える方法で大きな絵を日本でも実現できるかもしれません。大いに暴れてほしいなと思っています。
―では最後に、企業の方々へのメッセージをお願いします。
那:日本発のグローバルカンパニーを作るという当社の挑戦に、もし共感いただけるなら、ぜひ応援してください。水本さんがおっしゃるとおり、私は大きな絵を描くことが得意ですが、個別の製品で勝つよりはそうした仕組みづくりで勝ちたいのです。この仕組みをぜひ一緒に作っていきましょう。