「不妊治療×AI・ロボット技術」で、生殖補助医療の質の向上を実現
2022年度の1stRound支援先の一つである株式会社アークスは、2022年3月の設立以来、「誰もが安全で質の高い不妊治療を受けられる世の中」の実現を目指し、AIやロボット技術を活用した生殖補助医療の質・成功率向上のための新たなプロダクト開発に取り組んでいる。2023年4月には7000万円の資金調達を行っている代表取締役社長の棚瀬将康氏に、事業の特徴や優位性、起業に至った経緯、今後の展望などを聞いた。
授精の精度に直結する胚培養士の技術をAI・ロボットで自動化
―まず、アークスの事業について教えてください。
棚瀬:不妊治療クリニック向けのプロダクトとして、AIやロボット技術を活用し、体外受精や顕微授精など生殖補助医療のプロセスにおける作業支援や自動化のソリューションを開発しています。この作業を行うのは胚培養士という、精子の判別・抽出や卵子への授精作業などを手がける有資格の専門職ですが、その習熟度により受精の成功率も変わることが分かっています。そこにAIやロボット技術を使うことで、成功のベースラインを向上させると共に、新人でもベテランに近い成功率を実現できるようなプロダクトを目指しています。
現在、研究開発を進めており、2024年3月末までにプロトタイプを作り、実証実験を経て、2024年度以降に量産化に向けた開発を進め、2025年度から導入開始を予定しています。
―日本ではいろいろな分野で人手不足が叫ばれていますが、生殖補助医療領域でもそうなのですか。
棚瀬:そのとおりです。特に日本では、生殖補助医療によって誕生する出生数が急増しており、新生児の12人に1人の割合になっています。2022年4月から保険適用となったため、生殖補助医療を通じた出産はますます増えるでしょう。そのなかで、胚培養士の教育機会がなかなか確保されず、技術継承も難しいところで、成功率をいかに維持向上させていくかが課題となっているのです。
また、世界的にも生殖補助医療での出生数は増加していくと予測され、この領域でのAIやロボット技術の活用ニーズは、海外のほうがより高いといえます。
―アークスの技術優位性について教えてください。
棚瀬:当社顧問である東京医科歯科大学の池内真志教授、順天堂大学の河村和弘教授と連携して、提携クリニックとの共同研究を進めています。このお二人が研究されてきたノウハウが、当社独自のものとなっています。また、河村教授は生殖補助医療領域におけるオピニオンリーダーで、この領域の学会理事を多数務められています。
さらに、プロダクトのユーザーである胚培養士も当社に正社員として所属しているため、現場でクイックにプロダクトを試してもらい、そのフィードバックを開発に活かすという高速な開発サイクルが行えている点も、当社の優位性です。
自動運転エンジニアとして獲得した技術と、生殖補助医療の課題を掛け合わせ
―棚瀬さんは新卒でトヨタ自動車に入社されていますが、起業に至った経緯を教えてください。
棚瀬:学部生の頃に、当時Facebookのマーク・ザッカーバーグが25歳くらいでユニコーンの寵児といわれていて、自分も、社会的インパクトのある事業を興したいと思いました。その後、大学院に進みますが、創業支援環境が身近にはなかったため、まず技術を身につけようとエンジニアとしてトヨタに入社して5年半、自動運転やAI分野の開発を一通り経験しました。その後、その技術を元にスタートアップにチャレンジしてみようと、AI系スタートアップに転職しました。そこは当時すでに50~60人の会社で組織的に運営されていましたし、トヨタグループでも最後のほうはウーブン・バイ・トヨタの前身となるスタートアップ的な環境の会社で自動運転の開発を行っていたので、大手企業からの転身でもギャップは特に感じませんでしたね。
次に、CEOと医師で立ち上げたばかりの、外科手術支援システムを開発するスタートアップに開発責任者としてジョインしました。自身での起業に備えて立ち上げに参画したいという意図も了承いただいており、1年余り経って開発もひと段落したため、いよいよ自身で起業するべく、2022年3月にアークスを設立したのです。
―生殖補助医療という領域で起業を決めたのはなぜですか。
棚瀬:この領域で悩んでいる知人が、仕事との両立が難しく、退職を余儀なくされる状況を目の当たりにしました。そういう課題に苦しむ人がいると痛感するとともに、私自身も子どもが好きで、子どもがいない人生は考えられないと思っています。ですから、子どもが欲しいのに得られないということ自体が大きな社会課題に思えたのです。
そこで、会社設立後に生殖補助医療領域で医師に会いはじめ、顧問のお二人とも4月には面談、5月にはNDAを結んで資料を共有させていただき、事業化へと向かっていきました。
ノンエクイティの資金提供から事業計画の見直し、体制構築まで全てが役立った
―2022年度の1stRoundに応募されたのもその頃ですね。応募した理由は何でしたか。
棚瀬:まず、ノンエクイティで300万円の資金提供をいただけるのが大きかったです。融資などで資金はある程度調達していましたが、研究開発にはかなりの資金が必要です。当時のアークスにはプロダクトもプロトタイプもないため、エクイティの資金調達に動くにはまだ早かった。ですから、ノンエクイティの資金提供がありがたかったのです。
また、前職のスタートアップも1stRoundに採択されており、CEOから「いろいろしてもらえてよかった」と聞いていたのもあります。聞いたのが創業前だったので、何がどうよかったかまでは深堀りできていなかったのですが、印象には残っていました。
―事業化に関するメンタリングや壁打ちは役立ちましたか。
棚瀬:資金調達に向けて、事業やピッチ資料のブラッシュアップなど、メンタリングをしてもらえました。それで、2023年4月に資金調達が叶ったのだと感謝しています。
アドバイスいただいたのは、たとえば対象とする市場についてですね。スタートアップならではの急成長を目指すには少し市場が小さすぎると指摘いただき、グローバルまで見据えて事業計画を組み立てなおすべきとアドバイスされました。
そこで海外の市場について調べてみました。実は日本では、ヒトの手前の卵子や精子を扱うので医療機器には該当しないという解釈が一般的。ですから、事業化も医療機器のように時間がかかることはないのですが、国によりその解釈は異なっています。リサーチの結果、実現性が高そうで、かつ生殖補助医療領域での自動化ニーズが高いのは、アメリカと中国でした。医療機器扱いとなるため、少し時間はかかりそうですが、そのあたりの市場まで含め、スケール感ある事業計画にしています。
―その他、1stRoundで役立ったことはありますか。
棚瀬:メリットしかないというくらい、役立ちました。そもそも会社を設立したのは初めてで、開発以外の業務は門外漢でしたから、法務や経理などの体制構築は6ヶ月間の実行支援で大変助かりました。各種の契約についても、専門家に無料でサポートしてもらえたので安心して進められ、そちらに手を取られることなく本業に専念できたと思います。
また、コーポレートパートナーとなっている大手企業と支援期間中に実証実験を行うと、さらに上限500万円の資金提供があります。当社は日本ゼオンと実証実験が決まり、その費用も追加の提供資金で賄えました。こうした連携は、スタートアップが自力で動いても実現は難しいですし、どうしてもスタートアップ側の立場が弱く、連携における条件面も厳しくなりがちでしょう。それが1stRoundのおかげで、対等な条件で契約できたのも大きかったです。
プロダクトのローンチを目指しながら、関連する別事業も立ち上げ
―現在の会社の人員構成と、どのように集められたかを教えてください。
棚瀬:私の他に、取締役と開発責任者、AIエンジニア、胚培養士、バックオフィスが各1名というのがフルコミットのメンバーです。その他に、データ収集で不妊治療クリニックからほぼ毎日精子検体をいただき、そのアノテーションを2交代制で行うアルバイトが10名ほどいます。
取締役は東大IPCが運営する人材プラットフォーム「DEEPTECH DIVE(ディープテックダイブ)」で支援期間中にマッチングできました。それ以外にもリファーラルで、前からいいなと思っていた人に片っ端から声をかけていきました。その際は、当社の取り組みや思いを説明し、共感いただけるよう努めています。医療機関で実際に使われるプロダクトであり、患者に直接バリューを届けられるという点にやりがいを持ってもらいやすいですね。またAIエンジニアには、ハードウェア込みでAIを開発できるという経験にも価値を感じてもらえています。
―今後の事業展開はどのように考えていますか。
棚瀬:2025年度以降、国内での販売を開始して、その後は海外展開に向けて動き始めます。そして、もう1つ生殖補助医療領域で別軸の研究開発を、助成金をいただいて進めようとしています。そちらは2024年度末で研究開発を終え、2025年度以降に別事業の国内ローンチを目指します。
―最後に、起業を考える方へアドバイスをお願いします。
棚瀬:私は実際に起業を果たすまでに時間がかかり、33歳からの起業になってしまいましたが、頭で考えていても何も始まらないので、もっと早く行動に移せばよかったと思います。やりたいことが決まったら、もうやるしかありません。他の起業家と話していて共通しているのは、起業のやり方に再現性は一切ないということです。誰かのようにできるわけではなく、自ら行動して切り拓いていくべき。私の場合も、行動したことで河村教授と出会うことができたわけで、行動していなかったら今の事業はできていません。その後、今のメンバーに恵まれたのも、1stRoundで支援をいただきながら仲間を探してきたからです。ですから、これと決めたら、大胆に行動を起こしてほしいですね。